間宮林蔵の立像 (まみやりんぞうのりつぞう)
間宮林蔵(1780-1844)は、安永9年(1780)に茨城県で生まれ、日本全土の測量図を残した測量学者の伊能(いのう)忠(ただ)敬(たか)(いのう・ただたか)に本格的な測量術を学び、文化5年(1808)、幕府の命令で北方を探検し、翌年(1809)、間宮海峡を発見して、樺(から)太(ふと)(現・ロシア・サハリン州)が“島”であることを発見した有名な探検家です。 林蔵の発見は、当時の世界地図の空白を埋める偉業であり、世界地図にただ一人日本人の名を残しました。 この像は、林蔵の生誕200年にあたる昭和55年(1980)、彼の偉業を顕彰し、時代を担う青少年に世界に羽ばたく夢と勇気を培ってもらおうと建てられました。像は林蔵が樺太へ渡る決意を秘め、はるか海の彼方を見つめる姿を表しています。作者は彫刻家の峯孝(みね・たかし)氏です。 この場所から稚内中心部方面へ3kmほど進んだところに、林蔵が樺太探検に出発したとされる場所が残されており、墓碑が建っています。1808年に間宮林蔵が樺太探検に出発したときに、「もう生きて日本の地に戻ることはないだろう」と覚悟を決め、自らの墓を出発に建て旅だったとされています。 関係資料は、稚内公園の「開基百年記念塔」や副港市場の「樺太記念館」に展示されています。