九人の乙女の碑 (くにんのおとめのひ)
この九人の乙女の碑は、太平洋戦争後、樺太で亡くなった九人の女性の慰霊碑です。
太平洋戦争が終わった昭和20年(1945) 8 月20日、ソ連軍が樺太の真岡町(現在のホルムスク)に上陸し、樺太に残っていた日本軍との間に戦いが始まり、戦場のとなった真岡町において、最後まで樺太真岡郵便局にて電話交換の業務にあたり、戦火の中、電話交換業務を終えた後、青酸カリを飲み、自ら若い命を絶った 9 人の女性の霊を慰めるために建てられた慰霊碑です。
この碑は、高さ1.8m、幅2.4mの屏風(びょうぶ)の形の碑です。交換手の姿の乙女の像を刻んだレリーフをはめ込み、亡くなった 9 人の女性の名前、そして彼女達が最後に残した別れの言葉『皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら』の文字が刻まれています。
氷雪の門の横に寄り添うように建てられ、氷雪の門とともに除幕され、毎年同時に平和祈念祭が行われています。
関係の資料は稚内公園の稚内市開基百年記念塔(わっかないしかいきひゃくねんきねんとう)に展示されています。
-説明文-
戦いは終わった。それから五日、昭和二十年八月二十日ソ連軍が樺太真岡に上陸を開始しようとした。その時突如日本軍との間に戦いが始まった。戦場と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女らは、死を以て己(おのれ)の職場を守った。
窓越しに見る砲弾の炸裂(さくれつ)、刻々(こくこく)迫る身の危険、今はこれまでと死の交換台に向かい「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」の言葉を残して静かに青酸(せいさん)カリをのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉(じゅん)じた。
戦争は再びくりかへすまじ、平和の祈りをこめ尊き九人の乙女の霊を慰む